わたしの自立(固定観念と私)
わたしの自立
そもそも自立ってなんぞや?と思い調べてみました。Google先生!!
"自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに、自分の力で物事をやって行くこと。
「―心が強い」" Googleより引用
私は何から自立しただろう...と考えてみました。今年から一人暮らしを始めたのですが正直料理洗濯は当たり前なので、精神面からパッと思いついた自立がありました。
「固定観念からの自立です」
は? って思う人も多いと思いますが正直私はまだ自立しきれてないかも?と思うくらい厄介です。固定観念。色々な場面ででてきます。
例えば私がしていた吹奏楽では
「毎日走り込みや長時間練習をしないと結果が出ない。いい音がでない。」と言った文化がありました。(今はわかりませんが)
たしかに多くの強豪校は走り込みをしていますし、体力はつきます。
ですが走り込みをしていないと強くなれないのか?いい演奏はできるのか?
答えは はいでもありいいえでもあります。
なので立派な固定観念なのです
ですが部活真っ最中だった幼き当時は「強豪校はみんな走ってるし私らは時間も少ないから"仕方ない"」と思い込んでいたのです。
フタを開けてみると強豪校でも走らないところもあり、練習時間も私がいた学校より少ないところもありました。
私の高校3年時にさかのぼりますが当時は固定観念の世界が全てで、何もかもが当たり前だと思っていました。
→ダイエットしたいけど朝ごはんは絶対食べなくてはいけない
→クラスメイトに言いたいことがある。でも言ったら嫌われてしまうかもしれない
→高校は×立でなくてはいけない
→理系に進むと就職に有利だ
→自分は容姿が劣るので価値がない女だ
→自分にはなにもないからせめて資格などの勉強しなくてはいけない
....などなどが高校3年時にかかえてた固定観念でした。(めちゃくちゃ重い笑)
今、最近ようやくこの"固定観念"で縛られる愚かさを実感しました。
"固定観念にとらわれる"というのは、可能性を潰し、自分の伸び代を消し、考えることをやめていること....と個人的な考えに行き着き
「あれ🤔?これ....良くないな😥」
と思いました。それと同時に
「いや、こうしなくても大丈夫。」
「これは本当に自分にとって必要か?」
「この方法以外にもきっといい方法があるはずだ」
と発想もポジティブに向かっていきました✨
固定観念というのは所詮世間の一部で作られた曖昧な常識にすぎなくて、全てが悪までは言いませんが、私は特に縛られていました。
他人が考えたエビデンスがあればまだしも趣向や精神論()にまどわされていることに馬鹿らしく思えてきました
ネットの膨大な情報より自分の人生、自分で考えて調べて選択していくほうがいいかなって思います。
なので、今はそこそこ楽しいです。
考え方ひとつで自分はこんな楽になれるんだな...って思うと自分って単純だなと思いましたがね笑😇
最近ようやく固定観念(これ)から自立できたかな?と思った今日この頃です。